東京地方裁判所 昭和36年(合わ)1号 判決 1961年5月12日
被告人 小林正司
大四・一一・一八生 会社員
主文
被告人を懲役六年に処する。
未決勾留日数中百日を右本刑に算入する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
被告人は亡小林ハツヨ、同栄蔵の末子として出生したが、当時既に父母は離別していたため、専ら母の手一つで養育され、北海道室蘭市の高等小学校を卒業後は、一時同市の日本通運株式会社等に勤務したこともあつたが、昭和十一年には長兄栄吉を頼つて上京し、爾来自動車運転手助手、日本皮革社員、東京製鉄倉庫係等々の職業を経由したのち、昭和二十一年十月当時都内葛飾区堀切町に所在していた綾瀬口金工業所に入社し、(右工業所はのち都内墨田町に移転し、更に昭和三十三年十一月には都内葛飾区下千葉町の現住所に移転)その後同工業所が組織変更を遂げて大同光器株式会社と社名を変更したのちも引続きその社員として勤務を続ける一方満四十五歳の今日まで、童貞を守り、昭和三十二年に母を失つて後は肩書住居地所在の家屋(建坪十二坪)に居住して、探偵小説を耽読するかたわら小鳥等を飼育して独身生活を送つているものであるところ、この間、被告人と相前後して前記綾瀬口金工業所に入社し、其の後結婚して右会社で共稼を続けている星俊次(大正十年九月二十八日生)、同マツエ(大正十三年二月五日生)の一家と漸次親しくなり、殊に右星夫妻が昭和三十三年十一月前記会社の移転に伴つて都内葛飾区下千葉町四百五十六番地所在の同会社の寮に引越してきてからは、右夫妻に被告人の洋服ダンスを月賦で売却し、しかも右夫妻の了解を得て右洋服ダンスの一部を使用していた事情もあつて、毎日のように、同寮内二階八畳間の右夫妻の居室に出入りする一方、共稼ぎで人手不足の右マツエのため郵便貯金通帳の名義変更、同夫妻の養女幸江(昭和二十八年二月四日生)の遊び相手等、種々の雑用をも引受けていた関係から右夫妻ことに右星マツエとは極めて親密な間柄となり、とりわけ昭和三十五年二月頃右マツエから当時夫俊次の子を懐妊したものの、右養女幸江との仲を考慮した右夫俊次からこれが出産を思い止まるようにいわれて懊悩している旨相談を受けた頃からは、同情も手伝つて一層同女に接近し、折々頭痛を訴える同女のため栄養剤等を分け与える等極めて親切に振舞うようになつたので同女も亦被告人に対し、絶対的な信頼を抱くようになつた。
ところが被告人は、右星マツエとは親密の度をますに反比例して夫星俊次に対しては、最近一、二年来社長荒井芳夫が星俊次に何かと目をかけているように感じられはじめて同人に対して、それとなく嫉妬の情を抱きはじめる一方同僚やその他の者から星俊次が、社長に対して、自己の悪口を言つている旨を伝え聞くなどして、生来の、女性的な性格から表面には表さなかつたものゝ、内心同人に対して漸次不快感を持ちはじめていたが、昭和三十五年九月頃同僚の清水から、星俊次がその頃被告人が社長と仲のよくない工場長のところにいつて話しこんでいたと社長に告げ口している旨聞かされてからは、右俊次に対する不快感は急速に増大するに至り、遂に同年十一月初旬頃たまたま前記会社倉庫に赴いた際に右倉庫の隅の木箱の中にピンポン玉大の業務用の青酸ナトリウムを見るに及びヒステリー的自己顕示的な性格も手伝つて突嗟にこれを使用して右星俊次を殺害しようと思いたち、その一つを被告人の肩書居宅に持ち帰つて、自宅内の茶つぼの中に隠す一方、その頃から右俊次が死ねば、前述のその妻子も生活に困るだろうから一そ道連れにしようと考え右マツヱ、幸江の両名をも殺害しようと決意するに至り、爾来従前から耽読していた探偵小説の知識を利用し、幼児的熱中的性格からいちずに右三名の殺害の方法について熟慮しはじめた。
かくてまず右星マツヱの自己に対する信頼を利用して同女に遺書を書かせ、これを利用して将来右三名の毒殺を遂げた際に世人に右三名が、一家心中をしたように見せかけようと思い立ち、同年十一月十一日の昼休みに前記星方に赴いて、右マツヱに対し、家人のいないのを見すまして、「実は自分の知人が妾をつくり、これに困つたその奥さんから、おどかしに自殺するように見せかけたいから遺書を書いてくれと頼まれているんだが、女の筆跡でないとまずいから貴方が書いてくれ、子供さんはやつぱり幸江ちやんと言うんだ。」などと申し向け、その旨誤信した右マツヱに対し、便箋に「ふうふとはこんなものではない、まいにちがつまらない、にくい、にくい、ゆきえもつれてゆく小林さんいろいろおせわになりました以下略」との内容の文面を書かせたうえ、これを右の知人の妻に交付したように装いながら実は被告人が秘かに所持して、それがマツヱの遺書であるかのように見せかけるため、マツヱの手許に移す機会を窺うと共に、同日午後頃かねて右マツヱから度々頭痛に悩む旨を聞かされていたことを利用して右マツヱ等三名に前記毒薬を手交する糸口を掴もうとの意図から前記会社附近で右マツヱに対し「十万円納めるとドイツから来る二千円もする薬がつくし、一回に二万円もの利息がついてくる無尽のような会があるんだが入らないか、その薬は頭痛、その他なんでも効くんだ、テレビに出ている藤原あきさんもこの薬をのんでいるからあんなに若いんだ、これに入れば毎月この薬が来る云々」と申し向けそれを信用したマツヱから、右申出を承諾する旨の返事をえ、次いで被告人の殺意をマツヱ等に察知されることを防ごうとの考えから、同月十八、九日頃マツヱに対し、かねて購入しておいたエプロンを前記遺書を代筆して貰つた知人の奥さんからのお礼だと称して交付する等種々マツヱをして自己の前記各言動を信用させるための手段を尽すかたわら、同月末頃右会社からの帰途、マツヱに対し、「今日薬をとつてくるから」とさも前記無尽類似の会からドイツ薬を受けとつてくるかの如く装い、同年十二月一日頃前記星方居室において右マツヱに対し、あとで薬を戸棚に入れておくから三人で服用してくれと申し向け、同日右居室内の戸棚の中に、かねて被告人において薬局から入手しておいた栄養剤の粒を二、三個宛オブラードに包んだものを、三包置いておき、星一家の三名が後日、被告人が同人等に前記青酸ナトリウムをドイツ薬と称して投与する際、被告人の言を信用してこれを服用するかどうかを試したうえ、翌十二月二日右マツヱに対し、昨日の薬をのんだか等と問いかけて、被告人の意図に全く気付かぬ同女の口を通じ、同女及び幸江は右薬を服用したが、俊次は、服用しなかつたことを知り、その際の右マツヱとの会話をもとにして更に、前記俊次等三名に対する毒薬手交の方法は夫々別個にした方がよいと考え直し、ついに同年十二月十四日まず右マツヱに対し、午前十時頃及び午後四時頃の二回にわたり夫々前記会社の工場及び前記星方居室において、「今度町屋駅のそばにある伊勢屋という餠菓子屋の奥さんがあなたと同じ会に入つたからそこへ午後四時頃行つて私が渡す薬をジユースと一緒に飲んで貰いたい、店員がそれをみて奥さんに告げれば、奥さんも出てくるし、私もそこへ午後五時頃行くから皆で一緒に会に行こう。」等と夫々申し向けると共に、同日午後四時頃、右星方居室においてマツヱに対し、「国際劇場の切符の引換券と、さきに同月十日あなたから貰つて会に入れてある十万円の元利合計十二万円の引換券が入つている」と称して、実際には前述の遺書を封入した白色封筒一通を、次いで会から貰つて来た一服二千円もする万能薬だと称して、内実は前述の青酸ナトリウムを砕いた粉末(約〇・七五乃至二・二五グラム)を薄桃色の紙包にしたもの一包を、順次に手交したところ、さきに同月八日被告人から、右会から入会者に呉れたのだと称して国際劇場の指定券を貰つたこともあり、又同月十日前記十万円を被告人に交付する際「この金の元利金は、同月十四日にくれることになつているから十四日に一緒にとりに行こう」等と聞かされてもいた右マツヱは被告人の話を全面的に信用し、被告人の言葉通り同日午後五時五十分頃都内荒川区町屋一の七百五十番地所在の「伊勢屋」に独りで出かけ同所で右紙包入りの青酸ナトリウムをジユースと共に服用するに至つたが、次に右マツヱが「伊勢屋」に出かけた直後被告人は右星方居室において留守をしていた幸江に対しかねて前日の晩用意しておいた前記青酸ナトリウム粉末(〇・〇一乃至〇・〇二グラム)混入の晒飴一個を「幸江ちやんにむいてあげる」と申し向けながら、包紙を取去つたうえで、その口に入れて与え、更に引続きやがて帰宅するであろう俊次に服用せしめるため同室内の、戸棚の上に置いてあつた急須の中に、前同様の粉末(〇・七五乃至二・二五グラム)を新しい茶の葉と共に入れたのち同家を立去り、間もなく帰宅した俊次をしてこれに気付かぬ侭湯を入れて服用せしめ、以て右三名にいずれも右毒薬粉末を服用させるに至り、因つて右マツヱに対しては、同月十七日現在で約二週間の静養を要する青酸中毒の傷害を、又右幸江に対しては同月十六日まで入院加療を要した青酸中毒の疑ある傷害を、夫々与えたに止まり、又右俊次に対しては、同人が右茶湯を口にするや、直ちにその味に不審を抱いてこれを吐き出してことなきを得たゝめ、ついに右三名のいずれに対しても殺害の目的を遂げ得なかつたものである。
(証拠の標目)(略)
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人江口重国は、被告人は、本件動機について検挙以来数回供述を変えており、どれが真実であるかは、自らも当公判廷においてマツエ、幸江に対しては「こんなことをした理由は分らぬ」旨供述しているように把握しにくい尤も被告人は当公判廷及び、昭和三十六年一月四日付の検察官に対する供述調書によれば、星俊次が社長に告げ口したことに対する怨恨が同人を殺害しようと思いついた動機であると述べているが、証人荒井芳夫、同星俊次の当公判廷における供述によれば、右怨恨を動機とする根拠は薄弱であるし、又星マツエ、同幸江に対する動機は鑑定人に対しては抜きさしならなくなつたからだとか(鑑定書参照)とか述べているが、好意をもつている筈のマツエに対する本件犯行の手段は俊次に対するそれが簡単であるのに拘らず複雑怪奇を極めるおる事実に鑑み理解しがたい、これを要するに、被告人が本件犯行当時正常な精神状態にあつた旨の本件土井博士作成の鑑定書は全面的には納得しがたく、被告人は異常性格の所有者であつて、本件犯行当時心神耗弱状態にあつたのではないかとの疑いが存する旨主張する。
よつて右主張について判断すると、なる程被告人は当初司法警察員に対しては右俊次に対する怨恨乃至嫉妬の外に右マツヱに対する思慕が成就しがたいことをも動機としている旨述べ、(十二月十五日付供述調書)更にその直後には、マツヱが俊次に内緒で被告人に交付した十万円の返さいに困つたことをも、付加している如くであり、(同日付供述調書)そして検察官調書並びに当公判廷においてはいずれも俊次に対する怨恨のみが動機である旨供述を変えているのであるが、右土井正徳の証言並びに同人の作成に係る鑑定書に記載された被告人の鑑定人の問診に対する供述内容を精読すれば、矢張り本件各所為の動機の中心は、右星俊次が社長に対して告げ口したと信じた(尤も証人荒井芳夫、同星俊次は当公判廷において、いづれもその様な事実はない旨供述している事実に徴すれば、果して実際に告げ口をしたかどうか疑わしいが)という、被告人の心理的事実であり、これから更にマツヱ、幸江に対する判示の如き道連れとしようとの考えが派生したものと認められ、そして右各動機は、右土井証人が当公判廷において、説明的に供述する如く、一見第三者からみれば薄弱なようにもみえるが判示の如く非常に親密な間柄にあつた本件各被害者と被告人の間のような人間関係にあつては第三者からみれば大いした問題でもないような事柄でも、深刻な結果を生ずることがしばしばあることは経験的事実として明らかであつて、従つて、被告人の本件各所為の動機及び猟奇性に富んだ犯行の性格を、判示のような被告人の自己顕示性及びその属性である社会的成熟性に乏しい幼児性という性格特性と当時の環境的条件の相互関係のうちに求め本件犯行の一つの特色である推理小説的な点は平生の推理小説耽読の心理的効果にもよるがそればかりでなく犯行の技巧性、演出性、作為性、脚色性は被告人の重要な性格特性である、右の自己顕示性の特徴であると解明しつゝ一見薄弱に見える右被告人の心理的事実を中心として、本件各所為を思いたつたものとして、右各犯行当時の被告人の精神状態をもつてなお、正常な状態であるとした、右鑑定書の内容は充分首肯するに足るものというべきであり、従つて右弁護人の主張はこれを採用しない。
(法令の適用)
被告人の判示各所為は、各刑法第二百三条、第百九十九条に該当するので、所定刑中いずれも有期徴役刑を選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文第十条に則り犯情最も重い判示星マツヱに対する罪につき、同法第十四条の制限に従つて法定の加重を施した刑期範囲内で処断すべきところ、右犯情についてみるに、被告人の当公判廷における供述並びに証人小林吉蔵の当公判廷における供述によれば、被告人は弁護人も主張する如く、肉親に対する情愛が深く、亡母との仲に水が入ることをおそれて独身を通す一方、兄吉蔵の病気入院の際には合計七万円にも及ぶ補助をもしている事実が認められるものゝ他面土井正徳作成の鑑定書その他の証拠によれば、被告人には人命尊重の観念が希薄であるうえに判示の如くヒステリー的自己顕示的の傾向が強く剰え女性的陰険さをも具有し、過敏にして劣等感も強く、又猜疑心も深いことが認められ、これ等種々の問題ある性格的特性と、判示の如き環境並びに趣味(探偵小説好き)が背景となつて行われたと認められる、被告人の判示の如き計画的にして複雑な本件各犯行の手段、方法、ことに被告人に一途な信頼を寄せていたマツヱ並びに未だ八才にもならぬ(本件当時)幸江の両名をも判示の如き見当違いの同情感乃至道連れ的な考えから、判示の如く毒薬の犠牲にしようとした等の諸事実に着目し、更には右犯行の遂行の途次その手段として行われた右マツヱに対する極めて技巧性に富んだ所為をも併せ考えるならば、被告人の本件犯情は極めて重大且つ注目すべきものといわねばならず、ただ幸い判示の如くいずれも未遂に終つた等諸般の事情を考慮しても検察官の懲役六年の求刑は決して酷なものとはいゝ難く、被告人を前記刑期の範囲で懲役六年に処し、なお、判示未決勾留日数の算入については同法第二十一条を、また訴訟費用の負担については、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を各適用することゝする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 岸盛一 金隆史 中谷敬吉)
編注 土井鑑定人の鑑定書は、家庭裁判月報第一三巻第一〇号二七頁以下参照。